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昭和46年の話。

こんにちは、経営企画部です。
本社の“蔵”と呼ばれている資料保管場所から営業部長がもってきた「日本分県地図地名総覧 併 公共施設便覧」。
なんと発行は昭和46年。そう、53年前の資料、そして大陽開発株式会が始まったのが昭和43年なので、創業時の日本の様子が分かる資料です。
資料を見て驚いたのは私たちが主に仕事をしている東頸城地域の人口の多さ!「え、こんなに人いたの!?」となりました…(笑)

インターネットに載っていた令和5年の人口データでは、浦川原区2,880人、安塚区1,891人、大島区1,249人、牧区1,502人です。しかし昭和46年は浦川原村6,419人、安塚町8,789人、大島村5,965人、牧村6,728人でした。合併により人口の把握に差異があったとしても、減少度合いが大きすぎて…。「浦川原や安塚、ここら辺は昔もっと栄えてたんだぞ!」と言っていた会長の言葉の意味が分かったような気がしました。

私たちが主に工事を行っている東頸城地域の人口流出・人口減少・少子高齢化、その問題に対して「元気あふれる地域をつくる」をモットーにしている会社としてアプローチしていきたいと改めて思いました。

投稿日|2024.08.09 地域づくり